
konst × NIMAI NITAI 手仕事が結ぶ福祉とデザインの物語

「アート」は空間や心を彩り、新たな価値を生み出します。一方、「福祉」は支え合いの仕組みを築き、すべての人が自分らしく生きられる社会を目指します。この二つが重なり合うことで、より豊かで多様な「地域」が生まれます。
本記事では、4月15日(火)に〈lagom〉で開かれたトークイベントの模様をレポートします。ゲストは、インド最貧州ビハール・ブッダガヤで村の女性たちと共にアパレルブランド、NIMAI NITAI(ニマイニタイ)を育ててきたデザイナー・廣中桃子さん。テーマは「アートと福祉と地域」。その語らいの一部始終をお届けします。
話し手 | 合同会社nimai-nitai 代表・デザイナー:廣中 桃子さん(以下、廣中)
聞き手 | 一般社団法人konst代表理事・デザイナー:須長 檀(以下、須長)
聞き手 | 医師、医学博士、作家:稲葉 俊郎(以下、稲葉)

小さなチームが紡ぐ「響き合うもの」── NIMAI NITAI のテーマ
廣中「ブランドを簡単に説明すると、洋服を作っているのですが、原料から仕上げまで、すべての工程と人が連なっていることが私たちの特徴だと思っています。インド側では 20 人くらいが仕事に従事してくれており、本当に小さなチームで服づくりをしています。」


廣中「今年2025年のテーマは『響き合うもの』にしました。13年間続けてきて、今雇っているのは20人ですが、綿を作る農家、糸を紡ぐ人、染める人――構成を考えると実に多くの手がかかった服です。お互いに直接会うことはありませんが、洋服を着てくださる方にとっても、皆が響き合えたらいいなという思いでテーマを決めました。」
貧困と伝統に挑む13年──変わらない“三本柱”
廣中「NIMAI NITAIの事業内容は13年前のスタート時からまったく変わらないのですが、
・インドでもっとも貧しいと言われるビハール州で“貧困解決”を目指すこと。
・ブッダガヤ周辺の女性を対象に、洋裁の技術を指導しながら雇用をつくること。
・インドに古くからある伝統素材を使い、生かしたものづくりを行うこと
――この三つです。」
デリーとブッダガヤをつなぐ──二拠点サプライチェーン
廣中「活動している拠点は、ブッダガヤとニューデリーの2箇所です。首都ニューデリーにはプロの縫製職人を3人雇い、最終的な仕立てはほぼデリーで行います。ブッダガヤは観光地であるのですが、インドでは最貧困州の一つと言われています。特に困っているのは、インフラが充分に整っておらず、頻繁に停電するため作業が中断することもあります。」
廣中「女性たちは多くの家事仕事がありフルタイムの勤務が難しい人も多いです。家で作業をしてもらうにも、小さな子どもがいる家や牛や鶏を飼っていたり、また農作業をする家では洋服に使う布が汚れてしまうなどの問題も起こります。できるだけ、働く女性たちの生活環境にあった仕事を提供するように意識して振り分けています。」


廣中「縫製の拠点と製作の拠点は2箇所あるのですが、素材や伝統的な技法を施した布はブッダガヤでは調達できないため、各地の職人に依頼しています。たとえばコットンの綿は南インドのオーガニック農家に発注し、手紡ぎ手織りのカディ生地はベンガル州で、染めはラジャスタンやグジャラートの職人に、ウールはカシミール地方の手織り職人にお願いしています。ブランド立ち上げ当時は、寝台列車で何十時間もかけて職人さんを訪ねて、直接オーダーしていましたが、今はスマートフォンをみなさん持っているので、新作の生地写真を送っていただいたり、やりとりも遠隔で発注できるようになりました。」
聖地ブッダガヤ──現場で見た暮らし
廣中「ブッダガヤはお釈迦様が悟りを開いた地として有名で、10月から3月の観光シーズンは仏教徒であふれますが、主産業がなく多くが農業従事者です。食べものに困らない一方で、子供たちが十分な教育を受けられるだけの現金収入がない、という状況です。日本を含めて、世界中の寄付で学校は建つものの運営ノウハウがなく、子どもたちは決まったルールもなく勉強している――そんな光景を見ました。」

廣中「私が訪れた学校には15人の孤児が住み、周辺から50人が通っていました。母親はいるけれど父親がアルコール依存や事故、喧嘩や自殺で亡くなり、母一人では育てられず預けられた子が多いようでした。大学生だった私は“女性の地位が低い、仕事もない、全然違う環境だ”と衝撃を受けました。このときは何もできることがなかったので、この村をまた訪れたいなという思いを残して、去りました。」
見合い結婚とブラウスづくりの練習
廣中「初めて訪れてから2年経ち、もう一度訪問したときに、子供たちもまた大きくなっていて。14歳頃になると見合いの話が出ます。家同士が話し合い、女性側が持参金(ダウリー)を用意できれば嫁ぎますが、すぐにはそろえられず2〜3年後に嫁ぐ流れが多いです。授業が終わった放課後、若い女性たちが教室の隅でサリー用ブラウスを縫う練習をしていました。布を買えないため、型紙代わりに広げていたのは新聞紙でした。結婚に向けて、そんな準備をする必要があるんだなって。何も知識がないながらに、そう思いました。」
ニマイニタイの創業と、創業初期の混乱
廣中「そこで私は“洋裁を教えながらインドの素晴らしい素材で商品を作り、日本で販売すれば、私もこの村にもう少し長く滞在でき、彼女たちの仕事にもなる”と思いつき、勢いでブランドを始めました。ブランド名『NIMAI NITAI』はヒンズー教のクリシュナ神の化身の幼名“ニマイ”と、”インドと日本が兄弟姉妹のように歩みたい”という願いを込めています。」
廣中「“働きたい人いますか?”と呼びかけると50人が集まりました。午前中は結婚用のブラウスや枕カバー、子ども服の縫製や刺繍など、普段の生活に役立つソーイングを教える時間を作っていました。映像にある、緑のサリーを着ている女性が、知識を持った先生です。髪を真ん中で分けて、その額に赤いラインが入っているのが既婚者で、そうでないのが未婚者です。13歳から16歳くらいの女性たちですが、自分のお小遣いを稼ぎたいとかそういう目的で来てるのではなく、結婚に向けての資金を集めるという目的で来ていました。50人も集まってしまったので、予定していた施設に入り切らず、外でも仕事してもらっている状態でした。」
廣中「私たちが渡す給与は、現地の公務員の先生がもらえるほどの額でした。それで殺到したのですが、完成品の80%がB品以下。私は“給料さえ払えば成り立つ”と思い、公務員並みの賃金を払ったものの商品は売れませんでした。そこで名前シール+A〜D 評価+出来高制に変更しました。自分の名前を書けない女性もいて、名前シールをたくさん用意するのが大変でした。評価をする作業も手間がかかりました。ティッシュケースを例に、A=汚れなし・刺しゅう安定、B=少しズレても可、C・D=汚れ・破損は買い取り拒否としたら、瞬く間に A が増え、1 年で不良はほぼゼロになりました。私たちからすると、金額の差はそれほど大きくないのですが、やはりAに向けて皆さんが改良を重ねていくその気迫がすごかったのを覚えています。」
廣中「当時私はパターンや縫製の知識がほとんどなく、友人のパタンナー兼縫製プロに来てもらい毎日指導してもらいました。インドというか、ブッタガヤには“返し縫い”の文化がなく、その言葉もありませんでした。ほつれが取れないように返縫いをして、と伝えても、意味が通じない状況だったんです。「行って/帰る」を現地の言葉では「ジャケー(行く)/アナー(帰る)」といいますが、返し縫いを“ジェケアナ”と名付け、会話帳を作って教えました。最初はコースターや巾着など小物を作り、刺し子を練習。3年ほどで女性たちは落ち着いて仕事ができるようになりました。」
賃金交渉から家族のような職場へ──女性たちの成長
廣中「昼休み、『なぜそこまで品質を上げる必要があるの?』と聞かれました。私は日本での販売の流れ、職人の生地が貴重であること、日本で検品・タグ付けしてデパートで売る場面を説明しました。表情が一変し、“仕事の意味”が一致した感覚がありました。」

廣中「リーダー格の女性も育ち、課題を話し合います。出来高なので“買い取り金額を上げてほしい”“手が疲れる”と交渉も増えますが、日本での販売価格とのバランスを説明し、衝突しつつも忍耐強く話し合って解決します。3 年ほどでみな自信がつき、新人には『私もそこで苦労したよ、泣いたよ』と励ますようになりました。職場が家族のようなコミュニティーになり、家で話せないことも話す場になっています。」
廣中「今回、私たちの仕事を福祉という観点から評価いただいておりますが、日本で障がい者の方とコミュニケーションしながら商品を作っている檀さんとの環境は、どのあたりが違いますか?」
日本での福祉現場リアル、“変わらない価値”
須長「私たちは軽井沢町の社会福祉協議会と、障害のある方と一緒にものづくりをしています。それで就労支援をして賃金をお渡しして、という活動をしています。働いている障がい者の方の工賃は、時給200円くらいで、食品下処理や公共トイレ掃除が多いのが現状です。デザインと仕事に“喜び”を持たせ、賃金を少しでも上げたいと思っています。」

須長「障がい者は技術が上がりにくい面がありますが、それは“変わらない良さ”でもあり、毎回純粋な気持ちで新しいものを作ってくれます。私たちは技術向上よりも“作る喜び”をどう引き出すかを大切にしています。」
「かわいそう」を超えて──女性たちのアートを引き出す挑戦
廣中「檀さんのお話をきいて、ブッタガヤでも今後のステップとして考えたいのが、女性たちの持っている色彩感覚やアート性を伸ばすことです。13年間は収入を安定させることで手いっぱいで、女性たちの色彩感覚やアート性を伸ばす取り組みができませんでした。今後は刺し子や刺繍のアイデアを引き出したい。ただ自由にしすぎると日本の感覚と合わない在庫が残るリスクもあり、仕組みを考える必要があります。」
廣中「ビハール州は貧しいので“かわいそう”と思っていましたが、村に長くいると現金がなくても家族と毎日食卓を囲み、とても幸せそうでした。今は“かわいそう”ではなく“一緒に生活費を稼ぐ仲間”というスタンスです。」
廣中「稲葉先生に伺いたいのですが、医療の現場において、幸せとはどんなものだと考えられている、もしくは感じているのでしょうか」
福祉の視点から考える「当事者になる幸福」
稲葉「檀さんが関わっている取り組みで最も大切なのは、参加者が “やらされる側” ではなく “当事者として生み出す側” に立つことだと思います。一方的に何かを与えられるのではなく、その人にしかできない表現や仕事をどう形にし、社会に示すかが核心です。」

稲葉「まずは『生活費が足りない』という切実な課題を解決することが第一段階になります。そのうえで各自が自分の内側から何かを作り出す力を引き出し、実感できるように支える――そのプロセスこそが、最終的に「自分で自分の人生を選び取っている」という幸福感につながるのではないでしょうか。」
アウトカースト × カディ──10年越し糸紡ぎプロジェクト
廣中「これまで私たちは、できるだけ足踏みミシンや刺し子を使って女性たちと仕事をしてきました。ただ、洋裁やハンドワークには向き不向きがありますし、私たちのアトリエに通うには遠すぎたり、小さな子どもがいて職場まで通えない人もいる。もっと幅広い人に合った仕事を用意できないか――ずっと気になっていました。そんな折、インドには今なお “カースト外” に分類されるアウトカーストの集落があり、そこに足の悪いテーラーさんがいると聞きました。『彼に何か仕事を頼めないか』と相談され、ごあいさつに行ったんです。」
廣中「スニールさんという方で、足は動きませんが足踏みミシンはこげるので、簡単な修理なら請け負えます。たとえばブラウスのボタン付けなどで、月の現金収入は100ルピー(約200円)ほど。奥さまも同じ障がいがあり、政府から米・塩・食用油だけは配給されていました。初対面のときは表情が暗く、こちらが話しかけても反応が乏しかったのですが、仕事を渡すと誰よりも早く、納期前にきちんと仕上げてくれました。何度か続けるうちに表情が変わり、自信が芽生えていくのがはっきり分かりました。」

廣中「村には『自分も仕事がほしい』という声が多く、ミシンや刺し子が難しい人でも取り組める仕事を――と考えはじめたのが 2015年です。こうして生まれた “カディ・プロジェクト” は、会社の本業とは切り離したボランティア事業です。任意団体を立ち上げ、JICA やゆうちょ財団、安城学園など多方面に協力をお願いし、資金を集めてスタートしました。その際に紹介動画も制作しています。」
廣中「アウトカーストの集落の中でもヒンドゥー教とイスラム教の集落に分かれており、わたしたちが出会った方はヒンドゥー教徒の方が暮らすエリアをまとめる立場で、『村のために使うなら土地を永久に提供していい』と言ってくださいました。ただ法的には99年以上の契約が結べないため、弁護士を交えて99年の無償貸与契約を締結。それでも途中で判明した兄弟の持ち分を説得が必要だったり、関係者全員の合意を取るまでが一苦労でした。」

廣中「インドで “カディ” と呼ばれる手紡ぎ・手織り布は、インドの中小企業省に属するカディバワンという組織が管轄しており、インド独立の歴史と共に語り継がれる大切にされている布です。(“大量生産ができて機械のほうが便利であったとしても、人の手でできるものは人々の手で作り、できるだけ多くの仕事を人々に分配していく。それが村の発展につながる”という考えのもと村単位の小さな組織で運営されています。) 」
廣中「私たちも糸紡ぎの仕事を村に導入できないかと考え、グジャラート州・ガンジーのアシュラム(マハトマ・ガンディーがイギリスからの独立運動を指導した場所。糸車の製造拠点)を訪ねました。事情を話すと、偶然その場にいた方がビハール州カディバワンの代表で、『働く意欲のある女性25人が集まり、綿が汚れない環境の建物さえ用意できれば、糸車25台とトレーナーを無償提供する制度がある』と紹介してくださったのです。」


廣中「そこから土地交渉、設備資金集め、行政との調整を重ね、構想から約10年かかって実現しました。時間も手間もかかりましたが、村の女性たちが糸を紡いでいる姿を見ると、やってよかったと心から思えます。」
廣中「施設では女性が好きな時間だけ働けるようにしました。2時間だけでもいいし、一日中紡いでもかまいません。紡いだ糸は量りで計量し、何グラムでいくら、と毎日記録。計量器が古くて糸がこぼれるので、もう少し良い物を買う予定です。賃金は州政府から女性の口座へ直接振り込まれるため、夫に現金を持ち去られる心配がありません。」
廣中「インドは宗教儀式も大切です。建設前には地鎮祭を行い、菩提樹の前で雄蛇・雌蛇、亀、魚などを刻んだ銀細工を土に埋め、割ったココナッツを供えました。村中の人が集まり、建物が完成したのは8月上旬。8月15日――たまたまインド独立記念日――に開所式を開き、私は日本にいて参加できませんでしたが、良い日にスタートできたと思います。」
廣中「今年の冬には、建設を支援してくださった安城学園の皆さまが再訪し、関係者で改めてセレモニーを行いました。いまやカディ糸は国が買い上げ、州内でも普及しています。ブッダガヤのカディショップでも販売され、私たちも買い取り、染めていないカディコットンで部屋着のセットアップや、男性向けパッチワークシャツを少しずつ仕立てています。」
廣中「開所式では最前列に功労者の女性に座ってもらい、一人ずつ名前を呼んで花輪を贈ると、皆さん誇らしげな表情でした。紆余曲折ありましたが、本当にやってよかった。これからは施設を安定運営することが次の課題です。ひとまず “カディ・プロジェクト” はようやく一区切りつきました――それが今回お話ししたかった内容です。」
稲葉「私も学生時代にバングラデシュとインドを訪れ、地域医療に携わる活動や中村哲先生(ペシャワール会)の現場を見学したことがあります。“自分にできることはないか” と考えたのですが、結局その道へは進みませんでした。それでも当時の体験がずっと心に残り、こうした分野の話を聞くと強く引きつけられます。」
稲葉「お話をうかがっていると、糸づくりに取り組まれたガンジーさんの精神――〈自国の誇りを守るには、自分たちの手で物を生み出すことが欠かせない〉という考え――を受け継ぎながら素材を生かし、そこから新しい価値を引き出しておられる。手仕事ならではの質感の素晴らしさはもちろん、デザイン面でも群を抜いていると感じました。そのあたりをぜひ詳しく伺いたいです。」
触れて初めてわかる手仕事の温度
廣中「実は私は最初、パターンも縫製もまったく知識がありませんでした。ただ、幼いころから祖父と叔父、父が家で着物の下絵をする姿をずっと見て育ったので、“お金のためだけではなく、ひたすら良いものを作りたい” と集中して働くインドの生地職人さんに出会った瞬間、どこか懐かしく感じたんです。だからこそ『この布を絶対に無駄にしたくない』『端切れを出したくない』という気持ちが常にあります。」
廣中「けれど初期は失敗も多くて――今では笑い話ですが、かつて “シンデレラパンツ” と呼ばれる、足首が極端に細い人でないと履けないパンツを作ってしまいました。パターンの勉強もしていなかったので、授業を始めた頃から通ってくださっているお客様のパンツが、歩いているうちにゴムが切れてズボンごと落ちてしまったこともあります。本当に知識ゼロで走り出して、刺し子や小物ばかり作っていた頃の話です。」
廣中「転機になったのは、デリーのファッションカレッジで講演に呼ばれたとき。偶然、ISSEY MIYAKEさんの企画課長が来られていて、私たちの商品を見て開口一番『パターンが悪い』とはっきり言われました。『女性たちに時間がいくらでもあるように見えても、単調な作業だけでは楽しくないでしょう。企画こそ重要。物を作ったら “90%売れれば良い” ではなく、“100%売れる” ところまで考え抜きなさい』と助言を受け、まったくその通りだと痛感しました。」
廣中「それから 2~3 年、パターン学校に通い、今ではほとんどのアイテムのパターンを自分で引いています。稲葉先生がお褒めくださるのは本当に励みですが、まだまだ勉強中です。デザインで一番意識しているのは、“生地を無駄にしないこと” と “布の魅力を最大限に引き出すパターンを設計すること”──この二点に尽きます。」
稲葉「洋服に実際に触れたときの“手仕事ならではの質感”は、オンライン画像ではほとんど伝わりませんよね。やはり“触れてみないと分からない世界”があると思います。 そして実物に触れる体験には、布を織った人や仕立てた人との“出会い”も含まれていて、その物語ごと感じ取れることが大きいのだと思います。」
ロードマップなき旅──出会いが生むデザイン
廣中「私が初めてインドを訪れたとき、どこでだったか正確には覚えていませんが、偶然カディの布を見つけました。手紡ぎ・手織りとは知らず、ただ『ものすごく味わいのある布だな』と強く惹かれたんです。それで『この布をぜひ使いたい』と思い、最初から “カディを扱う” と決めました。とはいえ当初は洋服を作ることはできなかったので、直線断ちにフリンジを付けただけのストールを作り、ひたすら販売していた時期もあります。」
廣中「その後、インドへ通い続けるなかで、 “ナショナルアワード”――インド政府が主催し、技術、芸術性などを評価して贈られる賞を受けたブロックプリント職人に出会いました。ひとりの名匠に会うと、また次の職人を紹介してもらえる……そんな連鎖で、今日のネットワークが広がってきたんです。」


稲葉「最初に大きなロードマップを作ったわけではなく、むしろ“出会い”の積み重ねから発想を広げてきた、という感じですね。」
廣中「そうですね。『この形の服を作りたいから、この職人に頼もう』と最初に決めることは全くと言っていいほどありません。むしろ、そのとき出会った生地や柄を見て、『これをどうやって洋服に仕立てるか』と考えていますね。」
稲葉「その点では、コンストが障がいのある方々と進めている事業とも、とてもよく似ている部分があります。私たちも一人ひとりが作り出す“味わい”や“面白さ”を入り口にして、『ではそこから何が形にできるか』を考えています。そういう “出会い方” という意味で、両者は本当に近いアプローチだと思います。」
須長「そうですね。特に障がいのある方と仕事をするとき、こちらが最初から“完成形”を決めてしまうと、いざお願いしたときに『あれ? 想定と少し違う』というものが出来上がることがあります。でも、そこがとても面白いんです。だから私たちは最初にゴールを固めず、まずは彼らが作ったものを受け取り、『では、それをどう生かそうか』と考える──そんなやり方で事業を進めています。」
廣中「稲葉先生と檀さんとお話しする今日のこのイベントについて、実は昨日からとても緊張していました。それでも拙い話を最後まで聞いてくださって、本当にありがとうございました。」
トークイベント「アートと福祉と地域(2)」開催のお知らせ
ゲスト:ポンナレット 江波戸玲子さん(代表)、中村夏実さん(テキスタイルデザイナー)
日時:2025年5月23日(金)11:00-12:00(開場は開演の30分前)
料金:無料/事前予約制
ご予約:https://konst.jp/news/2176/
場所:lagom
住所:〒389-0207 長野県北佐久郡御代田町大字馬瀬口1794-1(MMoP内)